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君の涙ドナウに流れーハンガリー1956ー

懸賞 2007年 11月 28日 懸賞

Szabadság,szerelem
自由、愛

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我々が学校でさらっと流された≪ハンガリー動乱≫を描いた映画。
自由のために決起したハンガリー国民を、アメリカはじめ西欧諸国が(もちろん日本を含む)見捨てた事件である。
援護を求めるハンガリーの首相ナジ・イムレの声明が6ヶ国語で放送され、ハンガリー独立学生連盟の全世界へ向けてのSOSの放送が流されたにもかかわらず、世界はハンガリーを見捨てた。
この頃と同時にスエズ運河をめぐるイギリス、フランスとエジプトの紛争が起きて、利権がらみで世界の目はこちらに向いていた。
ちょうど時を同じく、メルボルンオリンピックが開催され、ハンガリーは水球の準決勝でロシアを破り(俗に言う流血事件)金メダルに輝く。
祖国での事件はもちろん選手たちにも影響を与え、亡命する者、祖国に戻りたがる者など動揺するが、監督の『祖国の民衆のために我々は優勝しよう!勇気を与えなくては!』
この言葉で一致団結し快進撃を続ける。もちろん観衆のハンガリーへの声援もそれを後押しすることに。

水球のオリンピック選手のカルチと革命の闘士ヴィキの出会い、恋、別れを軸に、我々が何の疑いもなく手にしている『自由』がいかに尊いものであるか考えさせられる映画である。
そして、今も世界の何処かで起きている自由を求める人々の戦いに(ミャンマーなど)、我々が出来ることとは何かを考えさせられてしまった。

自由の国に生まれた者には
理解も及ぶまい
だが私たちは何度でも
繰り返し噛みしめる
自由がすべてに勝る贈り物であることを

《天使のうた》マライ・シャンドール





ブダペスト工業大学生のカルチとヴィキ、
カルチは水球の選手でオリンピックにも出場予定、毎日試合と練習に明け暮れている。
ソビエトの占領下のハンガリーでは試合でも審判はソビエト寄り、反発して審判にボールをぶつけたり、ソビエトの選手と殴りあったりすることも。
この事で秘密警察に連行され、長官の《フェリおじさん》に『ソビエト選手に逆らうんじゃない、家族が大事だろ』と脅される。
オリンピック候補のカルチはやはり特権階級の扱い、コーラを勧められたり、アメリカ製のガムを勧められたり。

一方ヴィキは両親を秘密警察に殺され、大学のハンガリー独立学生連盟でも女性リーダー的存在。
学内の学生共産同盟集会で、『ポーランドの独立革命は資本主義のプロパガンダ』との演説に、セゲド大学の独立学生連盟のメンバーが真実を伝えようと飛び入り、混乱する。
ここで、『話を聞こうじゃないの!』ヴィキの一言で会場は静まり・・・・・

このヴィキを一目見てカルチは恋に落ち近づくが・・・『オリンピック候補のあんたに革命にかかわる勇気があるの?どうぞ特権をお大事に!』と相手にされない。

10月23日、デモは学生だけでなく市民をも巻き込み膨れ上がり国会議事堂へと集結し、ナジ首相の登場を待っている。
解散されるべく照明が消されるが、手に持っているビラに火をともして星の瞬きのように美しい。
やっと、首相が演説に現れるが『同志よ』との呼びかけに反発する。
その夜、学生同盟のメンバーがラジオで呼びかけようとラジオ局へ行くが、そこは秘密警察により封鎖され、交渉団は捕らえられる。
交渉団を奪還しようとする学生たちに秘密警察が発砲し、ここに革命の火蓋が切られる。

ヴィキを演じるカタ・ドボー、美しく、ハンガリーではセックスシンボル的人気女優。
この役では女性的魅力もさることながら、革命の闘士としての強さを前面に出しての演技。
カルチと初めて結ばれる夜、『秘密警察の奴に、抱かせれば両親を解放すると言われたの。・・・・でも、嘘だった。こんな私を嫌いになったでしょ・・・』
カルチは優しく抱きしめてくちづけする。
このシーンでも、ヴィキは哀願するような表情一つ見せず、きっぱり宣言するよう、強い女性だった。

カルチを思う彼の母の心中を察し、一人広場へと向かうヴィキ。
それを追うカルチに『あなたはオリンピックに出なさい。これを私だと思って。』
ヴィキは母親の形見の十字架のネックレスを渡して別れる。

見事金メダルを手にしたカルチだが、国歌のながれる中、手にしたネックレスを見つめヴィキを思って涙する。

再度進駐してきたソビエト軍に徹底的に攻撃され死んでゆく仲間たち、ヴィキも捕らえられてしまう。
秘密警察長官のフェリおじさんに、仲間の名前を書けと責められるが、彼女が書いたのは
《スターリン、フルシチョフ、フェリおじさん》
長官は彼女を処刑台におくる。

まっすぐ前を見据えて歩くヴィキに、投獄されている女囚たちから『神のご加護がありますよう』『神と共にあらんことを』と声が掛けられ
ハンガリー国歌が歌われる。
後ろ手に縛られた手には、カルチから送られた時計がしっかり握られている。
ヴィキの瞳から流れる涙・・・・

この失敗におわった革命は、ソビエトの傀儡政権であるカーダール・ヤノーシュ首相によって《反革命的暴動》とされた。
粛清の嵐が過ぎ去り、徐々に民主化への道を歩み始めたハンガリーが共和国宣言をし自由国家となったのは、このハンガリー動乱から30年の歳月を経た1989年のことだった。
10月23日に共和国宣言がなされ、同年11月9日、ドイツ・ベルリンの壁が崩壊している。
壁の崩壊につながった《ヨーロッパピクニック》が、東ドイツからハンガリーの国境を経て西ドイツへと行われたのはあまりに有名。

実際ハンガリーの若者がこの事件の真相を知ったのは1989年以降だったそうだ。
学校ではやはり共産主義の教育がなされていて、1989年を境に評価が逆転されている。

ブダペスト・アンドラーシ60番には当時の秘密警察の様子が博物館として残ってはいるものの、こうした記憶は徐々に薄れていってるようだ。

この映画では工業大学、コシュート広場、マルギット橋、ベム将軍広場など、重要な歴史的シーンは現地でのロケが行われている。
ブダペストの街は修復されてるとはいえ、まだ当時の傷跡も多々残っているようだ。

実際に訪れた時もコシュート広場には真ん中の共産党のマークを丸く切り抜いた国旗がはためいていた。
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by gerrymama50 | 2007-11-28 13:55 | 映画

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